彼は地に堕つ花の紅
 白雪に血の花が咲いていた。

「あら、椿が咲いとるね。珍しわあ」
 徐に立ち止まったモニアの後ろから、下村が白い息を吐きながら声を綻ばせた。雪中の行軍ゆえに思い思いの防寒具を纏った旅の面々も、つられてモニアと下村の両名が視線を投じる先、街道脇の一本の若木に目を向ける。中でも興味津々に目を輝かせているのは、やはりと言うべきか頬を真っ赤に上気させたルーシェだ。
「つばき? この木、つばきって言うの?」
「そ。うちの故郷にはよう咲いとったんよ。こっちに来てからはとんと見いひんかったけど」
 行商人が苗でも落としていったんかねえ、との呟きにモニアは内心首肯する。行商人が多く往来するだろう、街と街とを繋ぐ街道の脇。ぽつんと孤独に植わる、ルーシェの背丈にも満たない若い木は、自然に生えたと言うよりは何者かに運ばれてきたと判ずる方が妥当だろう。
 昨晩降っただろう雪を乗せた滑らかな木肌、冷気に磨かれたような光沢の緑葉、そして色と言う色が潜まった冬の寂寞の中に、鮮烈に咲く紅い花。樹上に幾つも花開いた艶やかな色彩は、見る者の目を知らず知らずのうちに引き寄せる。
 実際に、モニアも目を奪われていた。樹上に咲いたそれではなく――、根元の白雪の上に落ちた、一輪の花に。
 その黒に近い赤の花弁は、白銀の雪の上に散った鮮血を連想させた。
 そう、まるで、つい先日目にしたばかりの「それ」のような。

 ***

 早朝に一行が旅立った街は、お世辞にも治安が良いと言える街ではなかった。
 兎角息苦しい街だった、という印象だけが朧に残っている。街全体を穿つ大通り等は存在せず、細々とした居住区が薔薇の花弁のように複雑に折り重なって成立している街だった。元は外敵の侵入を防ぐ役目を果たしていたその構造も、領主の権力が衰え外部ではなく内部に敵を抱えるようになった今は、不穏な闇を育む温床と化している――とは街を守る門兵の弁だ。
 案内された宿へと向かうため、一行は入り組んだ路地を進んでいた。その殿を務めていたモニアは、ふと足下の石畳に目を落として目を瞬かせた。
 暗灰色の石畳の上。溶けかけた雪かの下から顔を覗かせる枯れ草の類が、僅かに多くなっている。
「――……」
 手入れが怠ってある道、それは平素から使われることがない道である。モニアは無言のままに周囲に耳をそばだてる。往来がなく、人の目が少ない場では、注意するに越したことはない。もし誤った路地に入ってしまっているのならば、早急に引き返す必要もあった。
「サン。この道で合っているか」
 前を行くコート姿のサンに話しかければ、彼女はフードからはみ出した、寒さで赤く腫れた耳を揺らしながら振り向いた。その手には、門兵に描いてもらった手描きの地図がある。
「え、うそ。こっちで合ってるはずだけど」
 以前の旅路で、自分が案内すると息巻いて皆を迷子にさせた前科を持つ彼女は、モニアの普段通りの冷淡な言葉遣いにも過剰にたじろいでしまう。間違ってないわよね、と紙の角度を変えてみたり裏から透かしてみたり、あたふたと焦る彼女に背後から白い手が伸ばされた。
「サン、見してみ」
 あまりに自然な仕草でサンから地図を奪い取った下村は、落ち着かない様子のサンを片手であしらいながら地図に目を落として一言、
「ん、合ってるはずや」
 地図を手渡されたサンは安堵にほっと肩を落とす。そんな彼女に笑みを向ける下村が、刹那、含んだような視線をこちらへと向けたことにモニアは気が付いていた。
 どうかしたのか、と聞いているのだ。
「……何でもない。ただ、サンの案内が心配になってな」
「ひっどーい! 私ってそんな信用ないの!」
 ぷりぷりと肩を怒らせながら、先を行くルーシェやごんべらの案内に戻ろうとするサンの後ろに、尚も気遣わしげな視線をモニアに向けている下村が続く。大丈夫だ、と示すようにモニアは軽くかぶりを振って、視線を周囲の街並みへと移した。
 その時だった。
 モニアは徐に足を止めた。ブーツの底が石畳を打つ音が、周囲の湿った塀に染みて響きを失っていく。
 前方で下村が振り返った。剣呑としたモニアの表情に対し、半ば意図的にも見える穏やかな笑みを浮かべながら、物問うたげに小首を傾げる。
「悪い。先に行ってもらえるか。後から追いつく」
「え? もにゃ、どこか行くの?」
 下村の背後からぴょこんと顔を覗かせたのはルーシェだ。先程のサンとの会話も耳にしていたのだろうか、くりくりとした丸い目にどこか不安の色を湛えてモニアに視線を向けている。
 刹那言いよどんだモニアを見て、下村は口元を袖で隠しながらルーシェに振り返り、
「この街で“お仕事”があることを思い出したんやて。忙しいなあ、もにゃはんは」
「そうなんだ! 大変だね、もにゃ」
 純粋なルーシェはそんな曖昧な説明でも簡単に信じてしまう。彼女は寒さの末に真っ赤になった鼻頭をモニアに向けて、
「ねえもにゃ、私も一緒に行っていい?」
 そう無邪気に言うものだから、モニアは思わず口を閉ざしてしまっていた。
「ルーシェ、無理言うたらあかんで。もにゃはんの“仕事”がちょっと危険なものやって、ルーシェも分かってるやろ?」
 見かねた下村がフォローに入る。そっか、とポニーテールの先までしおしおと垂らしてしょげるルーシェを見て、モニアは知らず知らずのうちに彼女に歩み寄っていた。
「――大丈夫だ。すぐ帰ってくるから、心配するな」
「……そうだよね! もにゃ、強いもんね!」
 こちらを見上げて花が綻ぶように笑むルーシェに、心の中でため息が漏れた。
「お仕事頑張ってねもにゃ! 気をつけて!」
「――ああ。そっちも気をつけてな」
「任しときい」
 穏やかに、しかし頼もしく告げられた下村の言葉に頷いて、モニアは一行に踵を返す。自分の背に向けられる緑色の瞳の存在を感じながら、されどその瞳が早く逸れてくれることを願いながら、モニアは薄暗い路地を足早に歩いて行った。

 モニアの「仕事」とは賞金稼ぎのことである。
 賞金稼ぎである以上、モニアは通常「狩る側」の人間である。賞金首が近辺に潜んでいるとの噂を掴めば、その情報を集め、彼らの首を得るため自ら相手の居所へ飛び込んでいくのが通常のモニアの仕事だ。
 だがこの仕事を長く続けていれば、「狩られる側」になることも少なくはない。過去に狩った組織の報復等がそれに当たる。
 この街でモニアに降って湧いた「仕事」は、そういった「狩られる側」の仕事だった。
 ――敵は一人。あの人通りの少ない路地で、微かに聞こえた足音の数と同数だった。
 モニア達が宿の居場所を門兵に尋ねる前に、一行を人通りの少ない路地へ誘導しろと指示をしていたのか。それも、刃を交える段となった今では確認出来ない。
 敵は、背後から襲いかかった。
 柄に手を添え、足音を殺して路地裏に入ったモニアに、敵は気配を消そうともせずに刃を振り上げた。ぶん、と僅かな風切り音が湿った静寂を破る。
 モニアは左から入った。
 右足を軸にして旋転、その時には既に指を絞ることで鯉口が切られている。敵は一足一刀の距離、振り上げられた刃はその頭上。避けることで軸を外し妙な隙を作るよりも、切られる前に切った方が効率的であると経験と本能が判断する。
 踏み込んだ。
 左手の内で刃を滑らせる。一瞬のうちに間を詰められたことで敵が一瞬動揺する。その隙を見逃さない。見逃さない判断力と瞬間の好機に立ち入る度胸こそが、モニアのような戦場に生きる人間をこれまで生き長らえさせた技術である。
 抜刀と同時に大きく腰を開き、身体のしなりを刃へ乗せる。無駄のない軌道を通った刃は勢いのままに敵の胸を袈裟に切り上げ、剣を振り上げる腕へと至ってその腱を無造作に切り捨てた。
 薄汚れた石畳に耳障りな音を立てて剣が落ち、
 一拍遅れて噴き出した血が、剣と周囲に積もった雪とを鮮やかな赤へ染め上げた。
 そしてその上に、どさりと無造作な音を立てて、敵が仰向けに崩れ落ちた。見開かれた瞳孔が小刻みに動いているところを見れば未だ息はあるのだろうが、至近の間合いから放たれた斬撃は深く、放っておいてももう起き上がることはないだろうと踏む。
 血に塗れた剣を一振りすれば、路地の壁に積まれた雪の上に点々と赤い血が飛び散った。倒れた敵の外套で刃に残った血を拭い、鞘に納める。存外に早く「仕事」を終えられたことに安堵した瞬間、自分を送り出した少女の声がフラッシュバックした。
 ――わたしもいっしょにいっていい?
 ふ、と無意識のうちにため息が漏れていた。
「……いつ、気付かれるんだろうな」
 モニアの「仕事」の内容を、ルーシェは知らない。そういった仕事を複雑に思うだろうルーシェにはただの護衛と説明しているためだ。彼女以外の旅の一行は皆うすうすながらモニアの仕事に気が付いているものの、純粋で、人の言うことを額面通りに受け止めてしまうルーシェはおおよそモニアの言葉に疑いを持たず、それ故に未だその仕事の実に気付かないでいる。
 しかし今のような状態も、いつまでも続きはしない。
 いつかきっと、この「仕事」が気付かれるときが来る。
 路地裏を出ようとして、念のためモニアはもう一度振り返った。
 白雪に散った血が、その鮮やかさを以て、モニアが行った「仕事」の実体を雄弁に物語っていた。

 ***

「……わ、この花落ちちゃってるね。かわいそう」
 その声に我に返ったモニアが視線を落とすと、つい先程までモニアが見据えていた雪の上の椿に、ルーシェが手を伸ばしているのが見えた。
「まだ綺麗な花の形のままなのに」
「椿は首からぽとんと落ちるからなあ。けど、それはしゃあないよ」
 下村が諭すも、赤い花を両手に抱えたルーシェは眉尻を落とし見るだに悲しげだ。しばらくの逡巡の末に、椿の木の密集した葉の上に、落ちていた花をそっと乗せる。
「……だめかなあ」
「そうしてもどうにもならんなあ。一度落ちてしまったもんは、もう二度と元には戻らへん」
 優しげな下村の台詞がどこか含みのあるものに思えて、モニアは思わず唇を結ぶ。
 ――落ちてしまったものは、二度と元には戻らない。
 それは、どのような道にも通じる真理だ。椿であっても、人殺しであっても同じ。一度落ちた花は、花の形を保っていても、二度と枝の上に戻ることは出来ない。
 そして、人殺しも、一度手を染めてしまった以上二度と元に戻ることは出来ない。
 「狩る者」であるモニアが「狩られる者」になってしまう、昨日のような状況を見れば明らかだ。一度狩ってしまった者は、恨みの末に自身も狩られる可能性があることを知らなければならない。それで尚狩られることを拒否するならば、狩り続けなくてはならないのだ。
 人を殺してしまった以上、二度と、元の日常に戻ることは出来ない。
「分かってる。けどかわいそうだから、せめて他のお花と一緒に咲いてるように見えればいいなって、そう思ったんだけど」
 ルーシェの純な優しさは、落ちた椿と同等にあるモニアには、ちくりと胸に痛いものとして響いた。
 そうやって他の花と同じであることを繕うことは出来る。しかし、一度落ちてしまった椿は、いずれ本当の姿を晒し、地に帰らねばならない時がくるのだ。
 そしてふと思う。――その時、他の花はどうなるのかと。
 落ちていく椿を冷ややかに見つめているのか。或いは、落ちる椿の衝撃で共に落ちてしまうのか。或いは。
(――或いは、共に落ちて“くれる”のか)
 モニアは静かに首を振った。詮のない想像であると、モニア自身充分に分かっていた。
「ルーシェ、そろそろ行くぞ。あまり時間を無駄にすると、野宿になってしまう」
「わっ、ごめんねもにゃ!」
 慌てて駆け出すルーシェを追って、モニアは再び歩き出す。
 最後に一度、樹上に危うげに置かれた椿を振り返り――、その血色の花弁から、彼は静かに目を背けた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ウオアアアアアアア
みなきさんとお話する機会があって少しばかりもにゃのことを話したら
もにゃ視点の小説をいただいてしまった・・・!!!!どどどういうこっちゃーーバーン
そうそう こんなかんじなんですよ!!と本編を描いていただいたかのような充実感
あんまり言うとねたばれかな〜とか思うのであれですけど
このあたりは結構重要なんですよね〜〜ルーシェのことを大切に思ってるけど大切なこと言ってないという。
アアーーでもサンが地図苦手であたふたするところとか下村さんともにゃの目配せとか
非常にこう「そうそうそうそう!」と手を打ちたくなるような描写が多くてですね・・・読むたびにやにやします
そしてアーーーーもうルーシェの無邪気さ・優しさが可愛くて仕方ない!
輪の中にもにゃを入れてくれる純粋な優しさと、隠しながらルーシェに接するもにゃ。
今後の展開にぜひ注目したいですね、わたしが描くんですけどね オオ・・・
しかし読む度に創作意欲を刺激してくれるみなきさんの小説は本当にすごいなあと思います!
すてきな小説をありがとうございました!!