彼は優しい花の赤
 あの人の赤は、花の赤に似ている。

 鐘の音が鳴り響く目抜き通り、黒装束に白手袋の老婆にいきなり花を手渡されて面食らう。受け取った花は一本の一輪咲き。柔らかな赤に綻んだ花冠から、筋の通った青々しい茎が続き、根の部分は目の粗い麻布でくるんだ土に覆われている。まだ水があがる生花だ。帰って宿の庭の隅にでも植えておけば、運が良ければ根が付くだろう。
 渡された花を片手に目を瞬かせるアロンの背後から、買い物袋を抱えたルーシェが覗いた。柔らかなポニーテールをぱたぱたと揺らし、花と花籠を抱えた老婆とを交互に眺めている。
「花祓い、と言うのです」
 しわがれつつも穏やかな老婆の声に、アロンは亜麻色の髪を揺らしながら小首を傾げた。花祓い。聞き覚えのない言葉だ。きょとんとする二人に、老婆は皺だらけの顔を丸めて品の良い微笑を浮かべ、
「余所から来られた方ですか?」
「ええ、そうなんです」
「それならご存じなくても無理はない。このお花は、この街の葬儀特有の習慣なのですから」
 葬儀、との言葉にアロンは思わず神妙に口を結んだ。成る程、先程からこの石畳の街に厳かに鳴り響いている鐘の音は、葬儀があることを知らせていたのか。色の無い老婆の衣服にも納得がいく。
「どなたか亡くなられたのですか?」
「街の青年が一人、街道で何者かに襲われましてね。ここ最近、この辺りには盗賊が居着いておりますから、きゃつらのせいではないかと思うのですが」
「それは……ご愁傷様です」
 襲われたとの言葉に怯えたのか、アロンの背後でルーシェが買い物袋を両手で抱きかかえて眉尻を下げている。伏せた瞳でその様子を目に入れた老婆は、ごめんなさいね、と一つ頭を下げた。
「ともかく、この街の葬儀では、棺が運ばれる道の上で死者の縁者が生花を配ることになっているのです。死者を死の国へ招いた悪い霊が、他の方々も連れていってしまわぬように。この生花が、生者の身代わりになってくれるのです」
 老婆がそう言い終わるか終わらぬかのうちに、俄に通りが騒がしくなった。何事かと通りの向こうに眼差しを投げれば、棺を担いだ黒衣の集団が現れ、粛々とこちらへ歩を進めているのが目に入る。それを見た老婆は失礼、と一言言い去り、赤い花を配るため周囲の人垣に向かっていった。
 両手で花を持て余しているアロンに、ルーシェは背後から覗き込むようにして、
「あろん、お葬式でお花を配るなんて初めて聞いたね」
「そうですね。折角ですから、帰ったら宿のおかみさんに断って庭に植えさせてもらいましょうか」
「そうしよう! 綺麗なお花だね、何て名前なのかなあ」
 行列に背を向け、宿への道を歩き始める。ぽんぽんと弾むように歩くルーシェの隣で、アロンは手渡された花をもう一度眺めた。花は大輪。その赤は、燃えさかる炎の色と言うよりは、うっすらと明けた曙の空や熟れた柿の実に似た、暖かな生命の色に思える。どこかでよく目にしている色だ。そう思い、アロンははたと思案に眉を顰めた。
 その時だった。
「お二人さん、こっちこっち」
 雑踏の向こうからふと呼び止められ顔を上げる。人波の向こうに揺れる桃色の髪、ほろほろと溶けるお菓子のように柔らかな声。見覚えのある姿がそこにあった。
「あっ、しむしむだ!」
 途端に駆けだしたルーシェを追って、アロンも慌てて歩調を速めた。そないに急がんでもええよ、と下村はいつも通りのゆったりとした口調で二人を迎えて、
「買い物にしてはちょっと遅いから、瞬間移動で迎えにきたんよ。ここらで人殺しがあった、っていう物騒な話も聞いたし」
「心配をかけてすみません、ありがとうございます」
 その時、一段と大きく鳴り響いた鐘の音に、三人は口を閉じ教会の尖塔を仰いだ。黒レンガの尖塔は仄白い青空を背景に、その穏やかな模様とは不釣り合いの重い音色を奏でている。口元を袖で抑え、下村はぽつりと一言、
「多分、街の人が噂してはった殺された人のお葬式なんやろな」
「そうみたいだよ、だからさっきこのお花を貰ったの」
 ルーシェの言葉で、初めて下村はアロンが抱えている赤い花の存在に気付いたらしい。老婆から聞いた花の意味をそっくりそのままアロンが説明すると、下村はへえと一言感嘆の声を漏らした。
「なんや、変わった風習があるんやね。これは対抗して帰ったら塩を撒かんとあかんなあ」
「お塩? 何でお塩を撒くの?」
「うちの故郷の風習や」
 ほええと感心するルーシェを促し、下村は踵を返し宿への道を辿ろうとした。背後へと流れる視線の途中で、ふとアロンの手元の花へと目を留めて、
「綺麗な花やね。生きてる人に寄り添うのにぴったりな、優しい色や」
 優しい色。
 穏やかな声音で告げられたその言葉に、アロンはこの花の色に似ている何かの正体を朧気に掴んだ気がした。

 ***

 宿に帰った瞬間、その朧気な直感は確信へと変わった。
「あろん!」
 廊下の向こうからかけられた、焦燥の滲んだ声。視界の端に揺れる赤い髪。
 ――あ、と思った。
 思考の鍵穴に、符合する鍵がかちりと収まった。
 ジフトだった。ジフトがそこに立っていた。心から心配してくれていたのだろう。下がった眉尻、早口になっている言葉に、有り難さとこの人らしいなあという微笑ましさを感じ、アロンは自然のうちに顔を綻ばせる。
「買い物にしては遅いなって心配してたんだ。大丈夫? 何もなかった?」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます、ジフトさん」
 言葉と同時に髪に目をやる。窓から差し込む斜光を受け、うっすらと光を帯びた短い赤の髪に、間違いないと思う。
 この人の赤だ。
 この人の優しい赤は、この花の赤とおんなじだ。
 良かった、と不器用に笑んだジフトの手を、アロンは無意識のうちに片手で握りしめていた。何となく、優しく温かな彼の温度を感じたかったのだ。
「ほんとはジフトが迎えに行きたかったんやろけどなあ。かにしてや」
「えっ、いや、そんな、俺は瞬間移動は出来ないし……」
 悪戯っぽく目元を細めた下村は、焦るジフトをどこか面白がっているように見えた。ほなお邪魔虫はこれで、と一言言い置いて、廊下の向こうへと消える。見送るアロンの後ろ、ルーシェは閑散とした板張りの廊下をきょろきょろと見渡して、
「ねえねえジフト、もにゃはもう帰ってきた?」
「えっ、まだだけど……」
「そっか。もにゃなら大丈夫だと思うけど、ちょっと心配だなあ」
 ルーシェが俯くのと同時、緑のポニーテールが動物のしっぽのように萎れてしまう。心配している本人には少々気の毒だが、稚い子供らしい無垢な言動に、アロンは思わず微笑を漏らした。
「きっともにゃさんなら大丈夫ですよ。すごくお強いんですから」
「……ん、そうだね! ありがとあろん! あたし、買ってきたものを部屋に運んでくるね!」
 途端に笑顔を取り戻し、ぽてっとしたズボンを揺らして走って行くルーシェに、手伝うよと言いながらジフトが続く。アロンもその後に続こうとして、ふと片手に持った花が気になった。
 この生花が、悪い霊から生者を守ってくれると言う。わざわざ土がついたものを配っているのだから、土に植えて生花として生かすことに意味があるのだろう。ならば花が弱る前に早く植えた方が良い。そう思ったアロンは、宿の入り口へと引き返そうと踵を返し、
 そこでようやく、物音を立てず入り口の扉を開けた人物がいたことに気が付いた。
「あ、おかえりなさい、モニアさん」
 噂をすれば影とはこのことを言うのだろうか。見上げる程の長身とそれを覆う黒いコート。アロンの声を受けたモニアは、軽く顎を引くことでそれに応えた。透き通るような銀髪が微かに揺れるのを見ると、アロンは常々、この人の髪は、日光を照り返した煌めきよりも、薄暗い路地裏に立ったときに落ちる冷ややかな影が映える髪だと思うのだった。
「今ちょうど、もにゃさんの話をしていたんです。ルーシェさんが帰りが遅いなって心配してたんですけど、ご無事で何よりでした。今、ルーシェさんを呼んできますね」
「いや、いい」
 二三歩走りかけたところで呼び止められ、アロンはぱちくりと目を瞬かせる。不可思議そうなアロンに、モニアは静かに歩み寄って、
「このコートを洗っておいてくれ。仕事で汚してしまった」
 そう無造作に手渡されたコートを、アロンは慌てて空いた方の手で受け取った。細腕にはずしりと重い長いコートに、改めてモニアの長身っぷりを感じて感嘆したくなる。
「明日の朝、他のお洗濯物とまとめて洗おうと思うんですが、よろしいですか?」
 問いかけに、モニアは口を結んだまま軽い首肯のみで答えた。彼の寡黙さにはもう慣れているので、アロンも特に気にすることなく分かりました、と返す。
「それにしても、もにゃさんがお仕事で服を汚されるって珍しいですね。今日はどんなお仕事だったんです――」
 ――そこまで口にしたところで、アロンはふと言葉を止めた。
 モニアのコートから微かに匂う鉄の臭い。
 血の臭いだ。
 黒ずんだ赤い液体の映像が突如脳裏をかすめ、アロンは口を開いたままに動きを止めた。アロンが言葉を失ったその意味に、流石のモニアはすぐ勘づいたらしい。彼はあくまで冷静なまま、その鉄仮面のような無表情を変えぬままに、
「ルーシェには言わないでくれ」
 そう淡々と告げながら、固まったアロンの脇をすり抜けていった。
 アロンとて、モニアが何やら物騒な仕事に手を染めていることは、無口な本人は口にしないがその雰囲気で何となく察してはいた。
 だがしかし、こうしてその仕事の輪郭を見せられるのは初めてのことだった。
 わざわざ顔を近付けなくても感じられる程の血の臭い。
 彼はもしかして――本当にもしかして。
 ――人を、殺したのだろうか。
「あれっ、モニアさん。帰ってたんですか」
 背後。ブーツの底で廊下を鳴らし、駆けてきたジフトの声にアロンは思わず肩を震わせた。こわごわと振り返れば、ジフトと、彼を見下ろし無言で首肯するモニアの姿が目に入る。
「今日は護衛のお仕事だったんですよね、すごいなあ。俺もモニアさんみたいな仕事が出来たらいいんですけど、まだまだ力不足で。今日も荷物運びで稼いでました」
 そう談笑――正確には笑っているのはジフトだけだが――しながら歩いて行く二人の背中を見送りながら、アロンは声を失ったままでいた。
 ――俺もモニアさんみたいな仕事が出来たらいいんですけど。
 その一言が、アロンの心中を強烈に穿ち、洞のような黒々とした穴を産んでいた。
 一人きりに取り残された廊下の片隅で、アロンは知らず知らずのうちに床の上にくずおれていた。
 ジフトの一言。それはつまり、
 彼ももしかすれば、仕事として人を殺すようになるということだろうか。
 その想像は酷く恐ろしいものだった。帰りが遅くなった自分を心から心配してくれた彼。荷物を抱えたルーシェに自然に持ってあげると言える彼。花のような柔らかな赤を身に纏う彼。そんな優しい彼が、人を殺すようになるなどと。
 日が翳り、急に冷えた廊下の上で、アロンは手元の花を弱々しく抱きしめた。

 ***

 青すぎる空は、時に黒く感じることがある。
 晴れ渡った空を何気なく眺めながら、アロンは手元の洗濯したばかりのハンカチをぱん、と伸ばした。青々とした芝に賑わう宿の庭先。その片隅にはアロンが昨日貰ってきた花祓いの花が植えられ、大きな花冠を青空に向け掲げている。
「あろん! 洗った服、これで全部だよ!」
 洗濯籠を抱えて走ってきたルーシェに、アロンはありがとうございますと一言、ぎこちない微笑を返した。上手く笑うことが出来ない自分に、どうかしていると思う。どうも昨日から漠然とした暗い気持ちが心の底に沈んでいて、俯きがちになってしまっているのだ。
「……どしたの、あろん?」
 くりくりとした新緑の瞳が、じっとこちらを見上げているのに気付いて、アロンは慌てて目元を細める。
「何でもないですよ。さ、早くお洗濯物を干してしまいましょう」
 そう言って指を伸ばした先に、昨日モニアから預かった黒いコートがあることに気付き、アロンは震えてその手を止めた。昨日嗅いだ鉄の臭いが、まざまざと脳裏に蘇る。
 モニアの仕事の正体を改めて思い知ると、コートの重みが語る長身、陰を帯びた銀の髪に、仄かな恐れを抱かずにはいられない。
 しかしアロンとて、モニアが誰のために仕事をしているか知っている。だからこそアロン自身も、己の恐怖が身勝手な感情だと理解していた。故にアロンは、モニアのコートを受け取ったとき、言葉を失いこそすれ落ち着きを保つことが出来たのだ。
 しかし、それでも、やはり。
 己の思い人が、あの優しい彼が、同じことをすると思えば。アロンは平静ではいられなくなる。昨日脳裏を過ぎった考えを思い出すと、今も指の先がうっすらと温度を失う。
 何がそんなに怖いのだろうと、自分でも思っていた。モニアであれば割り切れるのに、ジフトだとそうはいかないその理由は、一体何なのだろう。
「あのっ、カン太さん! 稽古をつけてもらってもいいですか?」
 突如宿の方から聞こえてきた声に、アロンは反射的に振り返っていた。庭に突きだしたテラスの上で剣を掲げていたカン太に歩み寄る姿。紛れもない、ジフトだ。その手に握りしめられた短剣を目にした瞬間、思わずアロンは目を伏せていた。
「ん、ジフトか。いつも熱心だねえ」
「はい! 俺、早く強くなって、皆の役に立ちたいんです!」
 しゃんと背筋を伸ばし、きらきらと瞳を輝かせるその姿を、普段であれば頼もしく、そして微笑ましく思っていたはずだった。それなのに、先程からアロンの心に湧いてくる感情は、息苦しくなるような不安だけだ。
「すごいなあ、ジフト。ほんとにいつも、修行頑張ってるよね」
 無垢な笑顔のままに賞賛するルーシェに、心が静かにざわめいた。アロンの代わりにルーシェが手にした、モニアの黒いコートをじっと見つめ、アロンは知らず知らずのうちに俯いていた。
「ねえあろん、さっきからどうしたの? 何かあったの?」
 稚い貌がきょとんとこちらを見上げていることに気付き、アロンは慌てて笑顔で首を振った。何事も無かったかのように手元の洗濯物をぱん、と鳴らす。なおも不安そうなルーシェに、気にしないでと一言告げようとして、
「分かったっ! あろんたそ、ジフテと喧嘩したんでしょー、ぷぷー」
 視界の外からの横やりに驚いて目を丸くした。
 ごんべだった。薄汚れたスリッパで庭に堂々と下りている人物はごんべの他にあり得なかった。薬品でポケット周りが汚れた白衣に、今アロンが手にしている洗濯した服とほとんど同じデザインのシャツ。つい先程まで寝ていたのだろうか、申し訳程度にくくった髪からは寝癖がぴんぴんと飛び跳ねていた。
 悪戯げに目を細めたその笑顔を、いつもなら苦笑だったり他の人の仲裁だったりして受け流しているのだが、今の言葉にはどうしても答えざるを得なかった。
「……どうして、ジフトさんと喧嘩したと思われたんですか?」
 ジフトに対する自分の懸念が、周囲に漏れ出していたのだとしたら、困る。ジフトの耳にまでこの思いが届くことは、出来る限り避けたいところだ。――今も庭の片隅で短剣を打ち鳴らしているジフトの強くなりたいという純粋な思いを、邪魔することになるかもしれないから。
 声を落として訊ねたアロンに、ごんべはふふーんと鼻歌交じりに、
「だってあろんたそ、さっきからジフテばかり見つめて浮かない顔してるんだもん。見てたら一発で分か」
「ちょっとごんべ、何あろんいじめてるのよ」
 背後からの冷たい声に、ごんべは怯えた小動物の如き機敏な仕草で振り返る。
 声の持ち主――サンは、その短い金髪の下に険しい表情を湛え、腕を組みごんべを見下ろしていた。
「ちょ、サンたそひどい! 別にごんべたん、あろんたそをいじめたりしてないんですけどォ!」
「嘘つかないでよ。不安そうな顔してるじゃない」
 そう言ってサンは、ぽかんと口を開いて見上げるアロンとルーシェに、同意を求め軽く顎を上げるのだった。強気に輝く空色の瞳に、慌ててアロンは首を振って、
「違うんです、ごんべさんは別に、私に意地悪をしてた訳じゃ……」
「えっ、そうなの?」
「ほらー! ごんべたん叱られ損じゃーん!」
 ぶーぶーと文句を垂れるごんべを、日頃の行いが悪いのよと軽く一蹴し、サンは再びアロンとルーシェに向き直る。
「それならいいわ。それより、二人に買い物を頼みたいんだけど。昨日の買い物リストに書き漏らしがあったみたいで」
「そうなんだ。これ干し終わった後は特にすることないし、行ってくるよ! ねえあろん?」
 無邪気な笑顔を向けたルーシェに、アロンも穏やかな首肯を返す。二人の反応を見てほっとしたらしいサンは、良かったと一言呟きながら、ズボンのポケットに手を伸ばした。
「じゃあ、お会計はこれで頼むわ。多分足りないことはないと思うんだけど」
 そう言って手渡された一枚の硬貨に、思わずアロンは瞠目した。覗き込んだルーシェも、うひゃあと素のままの声を上げる。
 金貨だった。それも、ここら一帯では最も価値が高い金貨だ。
「うわ、この金貨一枚あったらごんべたんの研究に必要な薬品どぼどぼ買えるじゃん! サンたそ、これどこで手に入れたの!」
「もにゃの仕事の報酬よ。昨日の護衛で稼いだんだって。役に立たない研究ばっかりしてるあんたとは違うの」
「やっぱりもにゃはすごいなあ。けどサン、こんな高価なもの、私とあろんの二人だけで持ってて危なくないかな?」
 気兼ねと不安に眉尻を垂らしたルーシェの言葉に、サンはそれもそうよねと思案に口を閉ざした。
「じゃあ俺が一緒に行くよ」
 その時、背後から向けられた声に、アロンははっと言葉を無くした。
 そこには、カン太との稽古を終えたのだろうジフトが、程よく筋肉がついた肩に汗を滴らせて、真っ直ぐな表情でこちらを見据えていた。
「モニアさんみたいに強くはなくて、頼りないかもしれないけど。良かったら護衛させてくれないかな」
「わあ、ありがとジフト! 頼りないなんてそんなことないよ、すごく助かる!」
 満面の笑顔を見せるルーシェの隣で、アロンは努めて平静を心掛けながら、
「ありがとうございます。お願いします、ジフトさん」
 そう微笑みながら、アロンはそっと、金貨がジフトに見えないように、両手で覆い隠すのだった。

 ***

 結果として、ジフトに着いてきてもらったのは正解だった。
 頼まれた物はモニアやジフトの武器を研ぐ砥石、錆を防ぐための椿油。それらを買い求めるためには街の外れで開かれている市まで足を運ばねばならない。まずそこまでの道のりが人通りが少なく、女二人で通るには不安だったことに加え、市の方では売られている商品の都合上か、見るからに柄の悪そうな男が大勢闊歩していた。
 好奇の視線が少なからず向けられていることを自覚しながら、アロンらは麻布を広げただけの簡素な露店を巡っていた。何処の店も簡単に購入を決めることは出来ない程の値段を提示している。近辺にうろついているらしい盗賊から身を守るため、武具の手入れをする砥石や刀油を買い求める者が多いことが、高騰の理由なのだろう。
「あろん、どうする? ここで買っちゃう?」
 数軒目の店の前に足を止め、ルーシェは柔らかなポニーテールを揺らしてアロンを振り仰いだ。店に並べられた値札には、これまでの店と比べれば良心的な価格が掲げられている。アロンは広げた手に乗せた金貨に目を落とした後、決然と首を振って、
「もうちょっとだけ見て回りましょう。もう少しお手頃なお店があるかもしれません」
 アロンがここまで頑なに言い張るのには、偏に背後のジフトの存在があった。
 ジフトがモニアのような危険で――もしかすれば、人を殺してしまう可能性のある仕事に手を出してしまうことを、アロンはただひたすら、恐ろしく思う。だからこそ、モニアが稼いだ金貨をジフトには見せたくないし、ジフトに稼がなければならないと思わせてしまうような高い買い物をしたくもなかった。
「あの辺りのお店はまだ見ていませんね。ちょっと行ってみましょうか」
 そう言ってアロンが指さしたのは、通りから外れた路地の一角だった。薄暗くて少し見えづらいが、点々と店が出ているのが確認出来る。
「ほんとだ、あんなところにお店あったんだね。見てみよう」
 駆けだしたルーシェを追ってアロンとジフトも路地裏へと入った。
 その時だった。
 無数の乾いた足音が、刹那にして前後から三人を取り囲んだ。周囲の露店に屯していた人々が、短い悲鳴を上げて逃げ出していく。
「あろん、ルーシェ、下がって!」
 張り上げられたジフトの声に、ルーシェの肩が震えた。咄嗟にルーシェの小さな体躯を抱きしめて、アロンは狭い路地の一方の壁に背をつけていた。強張った視線を路地の前後へと送る。
 ――男だ。
 前後合わせて六人。鋭い銀のナイフを手にした若い男らに、取り囲まれてしまっている。
「何だ、お前ら」
 アロンとルーシェの前に立ちはだかり、焦りが滲む声を上げたジフトに、男らはにやりと下卑た笑いを浮かべた。
「別に、俺たちゃ乱暴したくてこうしてるんじゃねえよ。ただ、そこの髪の長い女が持ってる金貨を、譲ってほしいと思ってな?」
 金貨。
 しまった、と思った。買い物をしている間、自分は無防備にも金貨を何かに隠すことなく直接手に握り、それを周囲に晒してしまっていたのだ。先程の店でもそうだった。誰かに見られていたとしてもおかしくはない。
「なあに、大人しく渡してくれれば悪いことはしねえよ。そっちだって、わざわざ痛い思いをしたくねえだろ?」
 そう言って、男らはわざとらしい仕草でナイフを弄んだ。その鋭利さを誇示するように日光を反射したナイフに、腕の中のルーシェがひ、と息を呑む。アロンの前方でジフトが歯を軋ませた。その背中はうっすらと汗に滲み、緊張に僅かに震えている。
 そして、その日焼けした手が、恐る恐る腰の短剣へと伸びた。
 ――いけない。
 どっと冷や汗が溢れた、呼吸が刹那停止した。
 ジフトは半ば無意識のことかもしれない。最悪の事態を考えて、対抗できるように手を伸ばしただけなのかもしれない。されど、それでも、それは非常に危険な一手だった。この場で武器を翳し、抵抗する意思を見せてしまえば、男達はもう容赦はしないだろう。ただでさえ多勢に無勢であると言うのに、背後に無力なルーシェとアロンを抱えた今、勝算があるとはまるで思えない。
 そして、何よりも。
 昨日から描いていた想像が、現実に輪郭を表したことに、アロンは恐怖していた。
 いけない。このままではいけない。もしこの多人数から武器をもって逃げだそうとするのならば、何人かを「動けないようにする」ことはやむを得ない。意図的にそうしようとしなくても、乱闘になった場合、振り上げた武器が思わぬ痛撃となって振り下ろされても何ら不思議はない。
 今二人を庇っているジフトの手が、ルーシェの荷物を代わって運ぶような優しい手が、血に汚れてしまう。
 それだけは嫌だった。
 そうなれば、きっと自分は、昨日のように彼の手を握れなくなる。
 今までの二人では、いられなくなる。
「ジフトさん、駄目――っ」
「抵抗するな、そこの女!」
 一瞬のことだった。
 身をよじって叫んだアロンに、反抗の意思有りと見て取ったのか、男の一人が咄嗟に動いた。男としては脅しのつもりだったのだろう、片手で軽く肩を小突いただけであったのに、誰かに暴力を向けられることに慣れていなかったアロンは、されるがままに路地の上に倒れ込んでいた。
 自分の身に何が及んだのかも把握できないまま、アロンは茫然と顔を上げようとして、
「――アロンに手を出すなッ!」
 路地を劈いたジフトの激昂に、身動きを封じられた。
 放心したように言葉を失ったアロンの視界の中で、現実が、まるで玻璃を隔てた芝居のように、どうしようもなく進んでいく。
 怒りに身を任せたジフトが、腰の短剣を引き抜いた。その目は血走って見開かれ、真っ赤な瞳は激情に燃えていた。切っ先を向けられた男は倒れたアロンに気を取られていた。それは致命的な隙だった。男が気が付いたときには、荒々しく震えた短剣の切っ先は既に躱すことも出来ぬ程間近に迫っていた。取り囲む男らが動き出してももう遅く、ジフトの身体も既に、回り出した車輪がすぐには止まることが出来ないように、抗いようのない慣性の中にいた。
 ――ああ、
 駄目だ、
 このままジフトの短剣が、男の胸に滑り込んだら。
 無意識のうちにアロンは手を伸ばしていた。それで何かが好転すると思ってはいなかった。
 ただ、今までの二人の距離から離れていこうとするジフトに、何とかして縋り付くことは出来ないかと思ったのだ。
 ――アロンはただ、ジフトとずっと今までと同じような距離でいたかったのだ。
 腕を伸ばせばその温かな手を握ることが出来る、そんな距離にいたかったのだ。
 だからこそ、ジフトに、人殺しなどしてほしくなかったのだ。
 切っ先が男の胸に迫る。どうすることも出来ない。アロンは地面に細い爪を立て、追いすがるように叫んでいた。
「ジフトさん――――――――…………ッ!」

 白刃が躍った。

 瞬きをする暇もなかった。突如背後から胴を払われ、ジフトと相対していた男はその場に崩れ落ちていた。滴る血潮に、アロンは反射的に背後のルーシェを庇い、その視界を塞ぐ。
「おいおい、女子供相手に六人がかりかよ。いくら何でも情けないと思おうぜ」
 足下に飛び散った鮮血を無造作に踏みつけ、余裕綽々に血刀を振るう姿。
「……師匠さん!」
「おうジフト、危ないところだったな」
 ジフトに師匠と呼ばれた壮年の男性は、周囲の男共など気にもかけていないのか、真っ向からジフトに視線を返しにいと笑ってみせた。対しジフトは、掲げた短剣を茫然と振り下ろしながら、
「どうしてここに……」
「のづが近くで店を冷やかしてまわっていたらしくてな。お前らが襲われてる姿を見て、俺らに知らせにきたんだよ」
「ジフトくん危ないところだったね! たっくんが来たからもう大丈夫だよ!」
 師匠の背後から息を切らせた様子ののづが顔を覗かせる。どうやら丸腰であるから今まで師匠の後ろに隠れていたらしい。賑やかすようなのづの口調を敢えて無視した師匠は、にやにやと笑いながら「それに」と続けて、
「そこの緑ぃのに何かがあったら、こいつが黙っていないだろうからな」
 そう師匠が顎で示した先、彼の背後から、硬質の足音が響き渡る。
 モニアだった。その銀の髪は路地の暗闇に浸され、顔は相変わらずの鉄仮面に覆われている。しかしその手に握られた長剣、力が緊張した足下のブーツの皺から、彼が既に臨戦態勢であることは容易に見て取れた。
 モニアのあまりの気迫からか、師匠にあっさりと一撃を食らわされた恐怖からか、男らは悲鳴を上げて路地の闇の向こうへと駆けだしていく。茫然とへたり込んだアロン、その腕の中で震えているルーシェ、言葉を失うジフトの隣を淡泊にすり抜け、モニアは背後の師匠へと振り返る。
「追います」
「ンだよ面倒臭ぇな、別に追うこたねえだろうが。何も盗られてねえんだろ?」
「いや、あいつら賞金が掛かっています。この街近辺を長く荒らしていた盗賊だとかで」
 言うが早いか駆けだしたモニアの後ろに、至極煩わしそうに頭を掻きながら師匠が続く。二人の様子を見送っていたジフトは、はっと気が付いたように、
「待って下さい! 俺も行きま……」
「ジフトさん!」
 張り上げられたアロンの声に、つんのめるようにしてジフトは立ち止まった。
 立ち止まってくれた。
 アロンは力なく立ち上がり、振り返ったジフトに歩み寄り、
「お願いです、行かないでください……傍にいてください」
 そう言って、震える手でジフトの手を握った。
「……あろん?」
「良かった、ジフトさん、良かった……」
 アロンの背後では、のづに介抱されて立ち上がったルーシェが、おずおずと二人の様子を覗き込んでいた。周囲には喧騒が戻り、自警団が呼ばれたのだろうか、慌ただしい足音が遠くから響いてきている。
 既にモニアと師匠の足音は遠くへと去っていた。ジフトが二人の方へ走っていかず、ここに留まってくれたことに、アロンは心から安堵していた。ジフトが留まってくれたからこそ、その手を握ることが出来る。優しさを感じることが出来る。
 汗の滲んだジフトの手は、途方も無く温かだった。昨日とまるで変わらないその優しい温度に、アロンは誰にも悟られぬよう、静かに涙を零した。

 ***

 あの人の赤は、花の赤に似ている。

 宿の庭先で洗濯物を取り込もうとして、アロンはふと、片隅に植えられた花が折れてしまっていることに気が付いた。生者の身代わりになってくれるというのは本当だったのだろうかもしれない。何とか元に戻らないかと添え木をした後、アロンはふわりとしたその花弁を静かに撫でた。
 あの後、モニアや師匠は見事この街近郊を荒らしていた盗賊たちを捕縛したらしい。賞金は然るべき手続きの後に給付されるらしい。それを知った仲間達は酷く喜び、調子に乗ったごんべなどはこれで研究費がまかなえるぬ! などと言ってはサンに小突かれていた。
 しかしそんな輪の中で、アロンは手放しに喜ぶことが出来ずにいた。
 一人、憂鬱げに顔を伏せていた人物がいたことを、知っているからだ。
 そんな考え事をしていた矢先、背後から芝を踏み分ける音が響き、アロンは徐に振り返る。
「……ジフトさん」
 声を掛けられ、ジフトは初めてそこにアロンがいたことに気が付いたらしい。反射的に踵を返そうとしたのを、アロンは慌てて引き留めた。物憂いに沈んだ顔に、何か声をかけなければならないと思ったのだ。
「俺、本当に駄目だよな」
 テラスの柵に肘を突き、小さく嘆息したジフトに、背後に立ちすくむアロンは彼から見えないことを承知で静かに首を振る。
「あろんとルーシェが危ない目に遭ったのに、俺は何も出来なかった。師匠さんやもにゃさんに助けてもらわないと、今頃どうなっていたか分からないよ」
 一陣の風が吹き渡り、ジフトの短い髪と、庭の片隅の折れた花を揺らした。ジフトはその花の存在には気付いていないのだろうか、ただ庭の青草を見下ろしながら、ぽつりと呟く。
「……俺、強くなりたい。もにゃさんや師匠さんみたいに強くなって、あろん達の役に立ちたい」
 そう言って木の柵の上に置かれたジフトの拳は、僅かに震えていた。
 悔しさに歯噛みし、言葉を失って顔を伏せたジフトに、アロンは静かに歩み寄る。鍛え抜かれたとは決して言えない、柔らかな弾力を残したジフトの拳に、自らの細指をそっと被せる。
「ジフトさんは、今でもこの手で、私達を助けて下さっていますよ」
 本心だった。荷物を運ぶのを手伝ってくれる優しい手。アロンにとっては、それだけで充分だった。それを憂う必要など、まるでない。
「けどあろん、このままじゃ、俺は……」
「確かに私は、強くなろうと努力されるジフトさんが好きです」
 丸くなった瞳に、アロンは穏やかに微笑んでみせた。無理をするのでもなく変に気を込めるのでもない、自然でたおやかな笑みだった。
「……ただ私は、強くなったジフトさんを遠く感じるくらいなら――、今のままのジフトさんと、こうやって手を繋いでいたい」
 強くなろうとするジフトが、いつの日か誰かを致命的に傷付けてしまうのではないかという恐れは、未だにある。この恐れはきっと、薄まることはあれ消え失せることはないのだろうと思う。
 ただ、それでも。
 先程、モニアと師匠が盗賊を追いかけていった時、ジフトはそこに留まってくれていた。
 あの切羽詰まった状況でも、自分の傍にいてくれることを選択してくれる彼なら、手を繋いでいることを選択してくれる彼なら。きっと大丈夫だろうと、そうも思うのだ。
 まるで泣き出す直前のような、くしゃっとした笑みを浮かべたアロンに、ジフトは戸惑ったように言葉を無くしていた。それもそうだろうと思う。昨日からアロンが抱いていた不安は、きっと彼には伝わらなかっただろうし、伝わらせるつもりもなかった。
 だけど、アロンの笑顔に困惑しながらも、ジフトは恐る恐る、アロンの手をその温かな両手で包んでくれた。
 ――きっと大丈夫だ。
 ――彼ならきっと、ずっと傍にいてくれる。
 そう思い、アロンは静かに目を細めるのだった。
 陽光の差す宿の庭先。逆光に輝いたジフトの髪に、アロンはああ、と感嘆する。
 この人の赤は、激情に燃えさかる炎の赤でも、黒ずんだ血の赤でもない。
 生者に寄り添う、優しい花の赤だ。

 庭先で添え木に寄りかかった花祓いの花が、アロンの思いに応えるように、その柔らかな花弁を揺らした。

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はあああああああああああああ
各キャラの考え方をしっかり掴んでいてものすごく面白かったです、一気に読んでしまいました!
じあろ・・・じあろ・・・!!!!!
ジフトがあろんを想うからこそ守りたい、強くなりたいと頑張るけれども
それがあろんにとって心を痛める原因になっているとはきっとジフトは夢にも思わないんだろうなと
心底もどかしくなりました。あろんが心配をかけまいと平静をよそおうのもつらい!いじらしい!でもきっとそうするんだろうな
そして師弟のかっこよさときたら!おいしいとこ取りだけど師匠無双いいですね、かっこいいですね
もにゃは常に鉄仮面装備で何考えてるかよく分からないけどルーシェをさり気なく気にかけてるところがたまらん…
しかも全キャラ書いていただけて更に皆生き生きしていて!本当に宝物です ありがとうございました!

こちらの小説にイメージイラストを描かせていただきました